映画「砂の器」(1974年 松竹)とハンセン病療養所

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  • Опубликовано: 24 ноя 2024

Комментарии • 18

  • @kanbeinakada5603
    @kanbeinakada5603 4 месяца назад +12

    学生の時に、東京都清瀬市にあるハンセン病療養所に社会見学をしたのを思い出しました。現在は治る感染症ですが、当時の患者さんの事を思うと、心が痛みます。

  • @近藤正
    @近藤正 2 месяца назад +5

    映画「砂の器」に負けずとも劣らぬ渾身のリポートでしたね!
    来年、出雲の旅を計画中です

  • @原田洋一
    @原田洋一 3 месяца назад +7

    ありがとうございます。
    撮影と編集は大変だったでしょう。
    長島愛生園を訪れ、入居者を偲びます。

  • @cooperjhon5440
    @cooperjhon5440 4 месяца назад +16

    入所したら、お骨すら故郷に帰れなかった患者達、安らかに眠ってください。

  • @テラてらしむ
    @テラてらしむ 9 месяцев назад +14

    音楽きいたら色々思い出して泣けるんよ……

  • @藤田一朗-i6h
    @藤田一朗-i6h 4 месяца назад +7

    55年くらい前、中学の保健体育の授業で、先生が施設に見学に行く話があったけど、ハンセン病の事は、潜伏期間が10年以上ということぐらいしか知らなくて、結局、感染が怖かったので行かなかったと話してくれました。本当に知らないという事は恐ろしいことです。

  • @中村幸子-f7y
    @中村幸子-f7y 7 месяцев назад +8

    見てて悲しくなります

  • @kentom5459
    @kentom5459 2 месяца назад +4

    1:49 瀬戸内の風景ですが、恐らく岡山県倉敷市下津井からの撮影だと思います。左中央に見える砂浜のあるのが長島です。療養所がある島の名前と同じなのは偶然なのか意図してなのか分かりません。

    • @walkingtetto7765
      @walkingtetto7765  2 месяца назад +2

      情報、ありがとうございます! いやあああ、おっしゃる通り、確かに下津井から長島を見た風景ですね。当時の撮影隊の長島間違いなのか、意図的に風景的に監督のイメージに合っていたからなのか不明ですが、Googlemapで確認できました。もやもやしていたのがすっきりしました。方角から見て恐らく鷲羽山ハイランドの高い台から撮影したのかもしれませんね。あの公園、1971年開園となっているので、ちょうど砂の器を撮影していた時期と重なります。機会があったら訪問してみます!

  • @なふたりん
    @なふたりん 4 месяца назад +9

    コロナといい、人間はこうゆうことの繰り返し

  • @イノシシにいさん
    @イノシシにいさん 11 дней назад

    「小島の春」では戦前の長島愛生園が動画として記録されていますね。
    貴重な映像だと思います。

    • @walkingtetto7765
      @walkingtetto7765  10 дней назад +1

      コメントありがとうございます。この映画がRUclipsにアップされていたので観ることができました。一部ですが愛生園の風景が映し出されていました。桟橋の情景は複雑な思いが頭をよぎりました。

    • @イノシシにいさん
      @イノシシにいさん 10 дней назад

      昨年公開された「かづゑ的」というドキュメンタリー映画の主人公・かづゑさんも、この収容桟橋から愛生園に渡ったそうです。現代では、「小島の春」はハンセン病患者の強制隔離を推し進めたという負の側面が多く語られていますが、小川正子が中四国で検診を始めた昭和10年頃は、多くの患者が路上生活を送っているような状態で、感染拡大の心配からも専門的な施設への隔離と治療が必要と言われていた時代でした。映画と違い、手記として書かれた「小川の春」は、医師や警察官の患者に対する当時の向き合い方がしっかり書かれており、一般社会の中にハンセン病患者がいた頃の状況を知ることができます。また「差別者のボクに捧げる!」という1978年の三宅一志のルポも、大島青松園で生活する当時の元患者たちがいかにしてここにたどり着いたかなど、患者側からみた当時の状況が掲載されています。高群逸枝の「娘巡礼記」も大正期の四国遍路記を通して、四国をさまようハンセン病患者の様子が描かれていて、当時の人々の患者に対するリアルな状況を知ることができます。

  • @ペパーミント-t8j
    @ペパーミント-t8j 9 месяцев назад +12

    無知であることの恐ろしさを感じる😢

  • @yasubeinansei
    @yasubeinansei 8 месяцев назад +9

    現代のコロナ騒動、進化してるのかなぁ?

  • @相澤惠
    @相澤惠 4 месяца назад +4

    色々な面で、未だに偏見は、無くならない!
    心の狭さなのだろうか?

    • @hid-gf6bd
      @hid-gf6bd 10 дней назад

      人間の本質

  • @kagatsunoura3833
    @kagatsunoura3833 4 месяца назад +8

    罪深いのは、収容を決めた時点で伝染の可能性がないことが医学的にわかっていたことです。
    初代所長はそれを承知で国民の不安を利用して収容を先頭に立って進めたのです。
    砂の器はそれらを明らかして公開するべきでうやむやにして改変すべきではありません。